- 朝倉台は近鉄大阪線大和朝倉駅南側に広がる外鎌山丘陵地にあります。
- この地域一帯は第21代雄略天皇の皇居、泊瀬朝倉宮の伝承地ですが昭和50年の初め頃、忍阪区・慈恩寺区・脇本区・竜谷区にまたがります外鎌山丘陵地から朝倉駅前までを近鉄不動産が開発し昭和52年から1100区画あまりを販売し現在に至っております。
- 開発前のこの丘陵地はミカン畑でしたが、開発前の発掘調査で38基の古墳時代(6世紀)の古墳が確認されており、そのうちの一部は団地内の2号公園に移設されたり、6号公園のように古墳の周囲を公園にしたりして残しております。
- この忍阪8号墳は、全国でも珍しい6角形墳で古墳時代終末期から8世紀初頭の古墳と推定されたが、丁度朝倉台8丁目の幹線道路上に位置したため、そっくりそのまま2号公園に移築されました。
- また、6号公園横には竜谷6・7号古墳が出土状態で残されています。
- この古墳群を現在の地図に落としてみると大体この付近です。
- 奈良県内はどこでもそうですが、古代の御霊の上に住んでいると考えて良さそうです。時には住まわせていただいていることに感謝の念を送ることも大切なことではないでしょうか。
サービス一覧
朝倉台の地番変更
大神神社の氏子へ
4. 天皇皇后陛下、朝倉台から御還幸
平成22年(2010)10月、明仁天皇、美智子皇后両陛下におかせられましては平城遷都1300年祭記念式典にあたり10月7日~10日の間、ご来県遊ばされ東大寺を始め県下各地をご視察遊ばされました。
最終日は、室生寺~長谷寺をご訪問され、朝倉駅から御還幸遊ばされることとなり、自治会あげてご奉送いたしました。



当日は、朝倉台住民を始め近隣の地区の方も見送りに来られ、駅前は黒山の人だかりです。


午後3時30分頃、165号線から朝倉大橋を渡って朝倉台住宅地に入り、朝倉駅に向けて車列が進みます。




当時小雨がぱらついておりましたが、陛下は車窓を開けられ沿道の住民に手を上げて答えておられました。

近鉄大和朝倉駅到着です。







ホームには荒井奈良県知事など多くの方がお見送りに来られていました。
時の天皇皇后両陛下が、朝倉台から御還幸遊ばされることになるとは前代未聞の出来事です。
5世紀後半、第20代雄略天皇がお住まいになっていたのが泊瀬朝倉宮で、それから1500年後に第125代明仁天皇陛下(現上皇陛下)がこの地にお越しになるとは、歴史の悠久を思い知らされた一幕でした。


当時の新聞記事
4月1日(土) 盛春クラブ4月号(活動予定)
4月23日(水) 盛春クラブ5月号(活動予定)
4月2日(水) 盛春クラブの4月のハイキングは久しぶりに地元龍谷から岩坂への山道を歩きました。
午前9時過ぎに集会所前を出発、途中少し険しい道程もありましたが、お昼前に無事目的地岩坂の広場に到着。折しも桜は満開で、同所でのランチも美味しさが一段と増し絶好の花見となりました。

朝倉台集会所前に集合~

龍谷西村宅前で小休止

竜谷から岩坂までの間道を抜けます

岩坂の十二神社に到着
【メモ】 〇 十二(じゅうに)神社
「泊瀬(はせ)」界隈の南部集落「上岩坂」集落の最奥地に鎮座する神社。 標高280m。創建由緒に関する資料は見当たらず不明。 主祭神は国常立命、国狭槌尊、天照皇大神、浄土煮尊、面足尊、大戸之辺尊他 古くから雄略天皇泊瀬朝倉宮の営まれた場所との伝承を持ち、14世紀に成立した書物「帝王編年記」に朝倉宮は「大和国城上郡磐坂谷なり」と記されている。境内の銀名水という井戸は、奈良時代からの名水で知られ、江戸時代に書かれた「大和名所図絵」にも紹介されている。


岩坂も桜が満開でした~
偶然にも盛春クラブなでしこの会(着付け教室)の講師先生が友人と花見に来られており、ハイキング会メンバーの中に数名のなでしこ会メンバーがおられ、奇遇を喜びしばしの間、談笑されました。



折角の機会ですので、一緒に集合写真を撮らせていただきました。
午後0時前、岩坂を出発、帰路は桜井東中学校西側から国道165号線に沿って出雲~黒崎を経由して午後0時45分、朝倉大橋近くに到着。同所で解散しました。今回の参加者は18名(男7 女11)。(渡真利)
5月15日(木) 盛春クラブハイキング、5月は奈良の古刹巡りをしました。
コースはJR桜井駅(9時06分発)➡JR京終駅(9時31分着)➡
白毫寺➡新薬師寺➡春日大社➡若草山山麓(昼食)➡二月堂➡奈良公園➡東大寺➡興福寺で解散(13:30分)しました。

JRで京終駅まで行きました。ここから白毫寺までハイキング



同山門から生駒山を望む

参道で記念写真。今回の参加者は19名(男性8,女性11)でした
【メモ】白毫寺
志貴皇子[しきのみこ]の山荘跡を寺にしたと伝えられ、鎌倉時代に叡尊[えいそん]が再興した。宝蔵には閻魔王坐像(重要文化財)がどっしりと鎮座。眼光鋭く、口をカッと開いて迫力満点。眷属の司命[しみょう]・司録[しろく]像(重要文化財)とともに鎌倉時代の康円一派の作だ。境内からの眺望もよく、参道の石段は秋、萩に覆われる。3月下旬ころには五色椿が花を咲かせます。

新薬師寺山門です。
【メモ】新薬師寺
天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が建立したと伝わる。すっきりした美しさを見せる天平建築の本堂(国宝)は、床が瓦敷。内陣には円形の須弥壇[しゅみだん]を設け、本尊木造薬師如来坐像(国宝)を安置する。本尊を守護する塑造十二神将立像(国宝)は天平時代の作(1体は昭和の補作)。憤怒の形相がすさまじく、躍動感にあふれる。




春日大社南門
【メモ】 春日大社
奈良時代のはじめに、平城京の守護の為創建されたのが始まり。平安時代には現規模の社殿が整った。皇室の尊崇も篤かったが、庶民の信仰も集め、多くの燈籠が奉納された。本殿や古神宝類が国宝に、春日若宮、南門など多くの社殿と神宝が重要文化財に指定。社殿は式年造替[ぞうたい]といって、20年ごとに造り替えられてきた。

五月晴れに恵まれ、春日大社、若草山、東大寺など人気のスポットには、小中学生、一般観光客、そして外国人観光客で大賑わいでした。

東大寺二月堂前で記念撮影
歩行距離は約12キロの長丁場でしたが、全員元気に踏破しました